第159回「お城へ行こう 第26回 丸岡城(福井県)」報告(14期 大西さん)

日時:2019年4月25日(木)~26日(金) 

行先:福井県坂井市丸岡町 丸岡城

行程:

 往路:JR新大阪発8:30 → あわら温泉 湯快リゾート青雲閣着14:15

 復路:青雲閣発14:45 → JR新大阪着21:45

参加者:12名(池田(R)・川路・立花・田上・大谷・長沢・原・矢田・石飛・飯島・高良・大西)

 

報告:

今回は、現存天守12のうちのひとつである越前丸岡城です。

 

4月25日(木)曇天

定刻に満席の観光バスで出発。途中から小雨。13:00曹洞宗大本山永平寺前の食堂で昼食のあと目的地へ。

定刻に小高い丘の上のホテルに到着。

三部屋に分散して荷物をおろす。夕食の19:30までフリータイム。他の部屋の様子を見に伺ったり、卓球をする人あり、お風呂に入ったり・・・

19:30から大食堂でバイキング料理。お風呂上がりで<スッピンの美女連>で写真を撮ったが、ここには省略する。

 

4月26日(金)曇天

9:00路線バスの便が悪いので、タクシー3台にて「丸岡城」へ。

途中の広い広い丸岡平野は、田植えが終わり小さな苗が風にそよいでいた。

お城には30分弱で到着したが、ガイドさんとの待ち合わせまで時間がある。

「一筆啓上茶屋」のお店で待つことにする。近くで収穫された野菜を売っている。店先のガラス張りの中では、蕎麦の実を電動の石うすで挽いていて、横ではお姉さんが蕎麦打ちしている。実は少し黄緑色、春蕎麦が採れたのか?

ほどなく背の高いガイドさんと合流。見学開始。

春満開の桜の中に浮かぶ姿が幻想的なので、別名霞ヶ城とも呼ばれている丸岡城。

もうすっかり葉桜。戦国時代の1576(天正4)年一向一揆の備えとして織田信長の命により柴田勝家が甥の勝豊に築かせたとのこと。屋根瓦は笏(しゃく)谷(たに)石(いし)(近くの足羽山山麓から産出)で、約6000枚の丸瓦と平瓦が葺かれている。鯱も同じ石造りで阿・吽とのこと。

天守閣の石垣横に、有名な短い手紙「一筆啓上 お仙泣かすな 馬肥やせ」の一筆啓上石碑がある。

石垣は曲線を描いて見事な野面積み。

天守閣は重要文化財。登り口の階段脇に、福井震災で落下し破損している鯱が展示してあった。石造りが良くわかる。

天守閣に入る。中の階段は傾斜60度と63度の急な階段。池田リーダーの「三点確保で!」の声が飛ぶ中を、必死で両手両足を使って登る。

「降りるときは後ろ向きで!」とガイドさん。内部は狭い。

天守閣の屋根は二重で内部は三階。最上階は四方に窓があり眺望が良い。窓の外には欄干と廻り縁があり、天守を豪華に飾っている(外には出られない)。

二階の窓から手を延ばして瓦にさわれる。まさにザラザラした石瓦であった。

ガイドさんの話では、昔は五角形の広いお濠のある城郭であったが、大正中期から昭和初期に埋め立てられ、現在は市街地になっているとのこと。

今回のガイドさんは、声良し説明上手で最高のガイドさん。お寺のご住職との事。

ガイドさんと別れ、天守閣横の歴史資料館で歴代城主ゆかりの品を見学。

お城から歴史資料館へ降りる階段手摺のかざりは「天守閣」の形。側溝の蓋の模様も「天守閣」のシルエットで綺麗! 

昼食は、「一筆啓上茶屋」へ。先ほど蕎麦打ちを見ていたので、お蕎麦を注文。打ちたて、茹でたてのお蕎麦はとても美味しい。

昼食後、徒歩2~3分の、「一筆啓上日本一短い手紙の館」へ。<日本一短い「春夏秋冬」への手紙>を募集中である。我こそは!と応募されては如何?

タクシーでホテルへ戻る。運転手さんの話では、福井県は鯖江のメガネフレームが有名だが、丸岡町は織ネームタグ(タグやワッペン)や織テープの日本一の産地で、全国の7割を生産しているとのこと。<丸岡城・丸岡歴史民俗資料館・一筆啓上手紙の館>の共通入場券に、越前織のきれいな栞が挟まっており、良い記念になった。

定刻に、ホテルを出発、帰路につく。

万博会場あたりから渋滞がはじまり、予定より2時間余り遅れて新大阪に到着。

リーダーや皆様のおかげで、楽しく平成を締めくくる旅となった。

 

追記

先ごろ4月4日付読売新聞に、

『丸岡城はこれまで「最古の天守」といわれてきたが、坂井市教育委員会が城の国宝化を目指し、専門家による調査を依頼。「調査の結果、江戸時代の築城と判明し、「最古の天守」とみることは難しくなった』とあるが、太い柱の立派な天守閣であった。 

第158回「お城へ行こう 第25回 香川県丸亀城」報告(14期 大西さん)

2019年3月24日(日) 

行先:香川県丸亀市 丸亀城

行程:往路:JR大阪8:00→相生8:32→岡山10:38→坂出11:34→丸亀着11:52 

復路:JR丸亀15:35→坂出15:54→岡山6:44→姫路18:10大阪着19:13

参加者:12名(池田(R)・川路・原・立花・尾崎・大谷・長沢・飯島・荒木・高良・高橋・大西)

 

報告:

「青春18きっぷ」を使って、今回は瀬戸大橋を渡り香川県まで足を延ばしました。

定刻通り丸亀駅に到着、徒歩約10分で丸亀城大手門へ到着。

日本城郭協会選定の「日本の名城100選」に選ばれ、高さ日本一の石垣を持つ現存木造12天守のうちのひとつで、丸亀城天守閣は重要文化財。

丸亀城は1597年生駒親正により築城開始、1602年完成。

標高66mの亀山に築かれた平山城。高さ15m、三層三階、日本一小さな現存木造天守。(パンフレットより)

ガイドさんの案内で、先ずは立派な大手一の門、二の門。

この門は、1670年ごろ京極氏のときに完成。

軒丸瓦の紋章「四つ目結」は京極氏ものとの説明。

京極氏は丸亀の前は龍野城、その前には松江城主だったとのこと。

城内を進む。

石垣の名城といわれるだけあって、野面積み、打ち込みハギ、切込みハギと、高さのある見事な石垣が続く。

ガイドさんの案内で進むうち様子が一変した。

城の西南部の高い石垣が崩落し、石がむき出し、石垣中心部の土も見えている。

かねてより石垣は老朽化し修理が検討されていたが、2018年7月の豪雨や9月の台風24号の影響などにより10月8日・9日に崩落したとのこと。

あまりにも無残な姿に、衝撃を受けた。

修復工事が始まっていて、1個ずつ石を安全な場所におろしたのであろう。

番号を付けた石がゴロゴロし、巨大なクレーン車がある。修復しなければいけない石垣は約6000個あるとの説明。修復の寄付募集中。

展望台からは青い海に白い雲と青い空。瀬戸大橋、讃岐富士がきれいな姿を見せている。

いよいよ一番高いところにある本丸へ。入場料200円。

松江城の階段よりも急かと思うほど急な階段で、スリッパを履いての昇降は、危ない。

天守の小窓からの眺めは良く、ほんとに小さくて可愛い天守閣である。天井が近かった。

我が松江城の、四方が見渡せる天守閣と比較してしまい、改めて国宝・松江城の素晴らしさを実感した。

出口にある城内観光案内所の募金箱に、石垣修復のための寄付を少々。

藩士の内職にうちわ作りを奨励されたそうで、案内所には伝統を受け継ぐ「うちわ工房」があり、有名な丸亀うちわをたくさん売っていた。

帰りを急ぐので見ている時間がない。ガイドさんと別れ駅へ向かう。

道にある電話ボックスに目を奪われた。ボックスの上部にはミニ丸亀城が鎮座していた。

せっかく「さぬきうどん」の本場にきたので、食べないと帰られない。

ガイドさんから聞いたお店「つづみ」に入り、舌鼓を打つ。 

帰りの時間が迫っており、丸亀駅へ急ぐ。そして、無事に帰阪した。

企画・立案・キップの手配・ガイドの予約・引率等々、リーダーや お世話してくださった方々、有り難うございました。

第157回「お城へ行こう 第24回 岡山後楽園・岡山城」報告(14期 大西さん)

2019年3月10日(日) 

行先:岡山後楽園・岡山城

行程:

往路:JR大阪8:00→相生8:32→岡山着10:38自由散策・食事後バスで岡山後楽園・岡山城

復路:JR岡山15:41→相生17:08→姫路17:11→大阪着18:13

参加者:16名(池田(R)・川路・立花・尾崎・原・大谷・長沢・田上・石飛・飯島・渡辺・太田・荒木・高良・久米・大西)

 

報告:

青春18きっぷを使って、どんよりした空模様のなかを出発、途中から車窓に水滴が・・・。天気予報が的中。

そしてただいま青春真っ盛りの16名が、小雨の岡山駅に降り立った。

バスの出発時間まで自由時間。別れて食事を摂り、バスで岡山後楽園へ。ガイドの大月さん。ダジャレが多い。 

岡山後楽園は、今から約300年前に、岡山藩2代藩主池田綱政公が藩主のやすらぎの場として作らせた庭園であり、1952(昭和27)年には文化財保護法による特別名勝に指定された。江戸時代のおもかげを伝える庭園として、金沢の兼六園、水戸の偕楽園とあわせて日本三名園といわれている。名前の由来は「先憂後楽」からとの説明。

藩主の居間・延養亭(えんようてい)、能舞台(雨で雨戸が閉まっていて中は見えない)、栄唱の間、井田(せいでん・もち米を作っている)、御舟入り跡(殿様がお城から後楽園に遊びに舟でこられる)、園内中央に築かれた唯心山からの眺めは絶景、そのふもとには水路を巡らせ、沢の池と廉池軒の池を結ぶひょうたん池には紅白と三色の鯉がいる。鶴舎(タンチョウヅルが6羽いた)、流店(りゅうてん、建物の中央を水が流れている。)、曲水(小さな水車が回っている)、小雨のなかをいろいろ見ながら庭を巡る。

特殊な作りの橋があり、伊勢物語「東下り」の場面を思い出した。カキツバタも植えて伊勢物語の「東下り」にちなんで作られた、とのこと。やはり!そうだった。

伊勢物語第二三段には、私が住む河内が登場する。天下の美男子といわれた在原業平。その昔、業平さんは岡山でも登場し人気があったのだと、改めて驚いた。

園内の芝は焼かれていたので色が悪い。間もなくきれいな芝が生えてくるであろう。

月見橋をわたって岡山城へ。岡の上にあるから岡山城との説明。

有名な「高松城の水攻め」、そのあと秀吉が帰京する際、岡山城の前身である石山城に立ち寄り、宇喜多直家没後の妻・おふくの美貌に魅入られ連れ帰ったとか。

岡山城を築いたのは宇喜多秀家で、正妻は前田利家の四女豪姫(秀吉の養女)とのこと。聞いたことのある歴史上の人物名がどんどんでてくる。

1945(昭和20)年6月29日の第二次大戦の空襲で天守閣・石山門が焼失した。現在の天守閣は三層六階の構造でコンクリート造りだが、外観は旧状通り1966(昭和41年)に再現されている。

野面積みの石垣、打込ハギ。一と百の会参加で、彼方此方の石垣を見てきたが、ここの野面積みの石垣は本当に見事だと思う。

岡山城のホームページに、岡山市生まれの歴史家・磯田道史さんが岡山城について熱く語っておられるのを予め見て行ったのでよくわかった。興味のあるかたはホームページを、ご覧ください。「岡山城大好き」感が伝わってきます。

展示物を鑑賞中、担当の方のお勧めでお姫様の衣装とカツラつけてもらった。せっかくだから荒木さんに撮影依頼、太田さんは殿様の衣装を・・・太田さんは立派なお殿様姿であったが、私は姿は姫君でも顔は大年増。ここに公開すると気持ちが悪くなるので省略です。

そして青春18きっぷの旅は無事に終了。次回3月24日の丸亀城行きでの再会を楽しみに、散会した。

リーダーの池田さん、川路さんありがとうございました。

第156回「お城へ行こう 第23回 松江城・備中松山城」報告(14期 大西さん)

2018年12月9日(日)~10日(月)

行先:松江城・備中松山城

参加者:9名(川路・池田・尾崎・原・大谷・石飛・飯島・荒木・大西)

行程

2018年12月9日(日)

阪急高速バス乗り場発7:30→JR松江駅着12:07JR松江駅→松江城→松江歴史館→神魂神社→八重垣神社→野津旅館

2018年12月10日(月)

JR松江駅発7:02→備中高梁駅着10:35→備中松山城 JR備中高梁駅発14:52→大阪駅着18:43

 

報告:

2018年12月9日(日)

高速バスで9名が出発。途中から雪景色が目に入る。雪化粧の大山が綺麗。

JR松江駅定刻に到着。

川路さんの姪・末森さん(出雲高校第34期)の出迎えを受け一路松江城へ。

ガイドさんの案内で見学、松江歴史館で不味公好みの和菓子とお抹茶で一服したあと、神魂(かもす)神社へ。

神魂神社は静かで荘厳な雰囲気が漂っていた。どこかしらパワーを感じる。

本殿は現存する日本最古の大社造りで国宝とのこと。参拝客が少ない。

いつかまたお参りしたい神社である。

小雨の中を急ぎ八重垣神社へ移動。お参り、御朱印をいただき鏡の池を見学。

本殿脇に日本で最初の歌といわれる素戔嗚尊の歌碑があった。

日暮れが近い。急ぎ今夜のお宿・野津旅館へ。

素泊まりなので、隣接の創作料理「根っこや」で食事。九谷焼のきれいな白い取り皿に、見たことのある雲の絵があった。店長に尋ねたところ、出雲大社本殿の天井にある「八雲之図」の一つで、出雲大社の許可を得ているとのこと。

恐れ多くて使用できなかった。お料理がおいしく、深海魚も食べた。

この日、松江駅からの移動は、末森さんの車とタクシーを利用。末森さんには、お世話になりました。親切で頼もしい後輩で、有り難かったです。

 

12月10日(月)晴れ

早朝出発のため朝食は駅のコンビニで調達、待合室で食事。

青春18きっぷを使って、伯備線の旅が始まった。

途中、落石情報で列車は延着、11分遅れで備中高梁駅到着。

備中高梁駅から、ガイドさんとともにタクシーとジャンボタクシーで臥牛山の途中まで移動。駐車場からは、貸出用の杖を拝借して登山開始。

なんという坂道、まさに「登山」。長く続く坂道。いきなり巨大な岩が現れ、そのうえに石垣や櫓がある。その景観に感動。

岩盤の上に立つ国史跡指定文化財・備中松山城。日本一高い所にある山城。

天守閣内には、城主の部屋があり、落城の際には切腹をする場所とのこと。

一階に大きな囲炉裏もある。こんなお城は初めてである。

お城を背景に昼食をとり、急な坂道を下山。

帰りの電車の時間を気にし乍ら、武家屋敷の旧埴原家(はいばらけ)・旧折井家、小堀遠州の作で有名な頼久寺の庭を見学。

臥牛山の上の松山城を名残惜しく振り返りつつ、備中高梁駅へ向かい、予定の電車で帰路についた。

 

此のたびの「お城へ行こう」の、段取り・旅館・キップ等々、すべて川路先輩・池田先輩の手配によるもの。大変お世話になりました。おかげ様で、念願の備中松山城に行けました。残念なのは城主、(猫のさんじゅうろう)がお休みだったこと。一泊二日の一と百の例会は、無事に終了しました。

第155回お城へ行こう 第21回 犬山城と岐阜城」報告(7期 川路さん・27期 伊藤さん)

2018年10月7日(日)

行き先:犬山城と岐阜城(27期伊藤宏冶君がガイドをしてくださいました)。

参加者:14名(伊藤、池田、飯島、尾崎、大谷、大西、荒木、田上、高橋、立花、長澤、原、堀西、川路)

 

<川路さんの報告>

伊藤くん

いっぱい、いっぱいお世話になりました。有難うございました。

貴方の的確なガイドのお蔭で犬山城と岐阜城のきびしいお城ばっかり2城も行くことが出来ました。秀吉や信長の気分になって登れました。

70歳、80歳ルンルンで帰りの電車に乗れました。ほんまに、ほんまに有難うございました。 

 

<伊藤さんの報告>

10月7日(日)、台風接近が心配されていましたが、参加者の元気が勝ったのか、汗ばむほどの晴天に恵まれました。

70歳、80歳台の元気者13名が犬山城を目指しました。

JR岐阜駅でひと回りほど若い伊藤が参加し、ガイド役を務めさせていただきました。

岐阜で名鉄に乗り換え、30分ほどで犬山に到着、ここから20分ほど歩きました。

途中、観光客があふれる古い町並みが残った通りがありましたが、この通りのお土産物屋さんや、食べ物屋さんには目もくれず、ひたすら犬山城を目指しました。

お城は、「さすが国宝」と思わせるだけの風格が漂っておりました。

狭くて急な階段を滑り落ちることもなく天守閣の最上階に登ると、清々しい風が吹きわたっておりました。

名古屋方面に目を向けると、どこかで火事の煙も見えましたが、名古屋駅前の高層ビルもはっきりと見ることができました。

お城の前庭の椅子に腰かけてのお弁当、皆さん、お弁当のほかにお菓子や果物を出して、子供の遠足のごとく楽しんでおられました。

休憩もそこそこに、犬山遊園駅まで歩き、岐阜に戻って岐阜城に向かいました。

岐阜市内ではこの日、信長まつりが開催されており、路線バスも多少の影響を受けておりました。

岐阜城に登るロープウエイも待つこと30分、その間、乗り場の横では武将隊による火縄銃の実演があり、空砲とはいえその迫力に驚かせられました。

ロープウエイを降りてからもひと苦労がありました。

登りの石段を15分ほど登りました。

その途中での記念撮影でしたが、皆さん、へとへとになりながらもばっちりポーズを決めています。

岐阜城は山の頂上に建つお城だけあって、眺めは抜群でした。

80歳も70歳も、事故なく無事に歩き通し、電車で帰路につかれました。

疲れを知らないパワーには大変驚かせられました。

もしかして、一番疲れたのは61歳の私かも・・・

第154回「お城へ行こう 第21回 松本城(予定)」はお休み

2018年8月5日(日)に松本城を予定していましたが、酷暑の毎日の為延期いたします。熱中症になったら大変ですので参加者(私を含む)高齢者が多いです。

第153回「お城へ行こう 第20回 伊賀上野城」(7期 川路さん)

201871日(日)晴れ

参加者:12名池田、飯島、井口、石飛、稲岡、大谷、長澤、原、高橋、矢田、渡辺、川路)

報告:梅雨の真っ盛りと言うのに良く晴れて暑い一日になりました。当日朝、環状線鶴橋駅ホームで電車を待っていると、『「大和路快速JR加茂行」は芦原橋駅構内で人身事故が発生し遅れています』との放送が・・・。久しぶりの参加なのに・・・JR加茂までは行った事あるけど、その先は??

不安でいっぱいになりました。案の定 大阪駅一番ホームは人人人であふれていて、知ってる人誰もいない?

いつものメンバー誰もいない?皆忙しそうに立ち去って行った。「でも しょうが無い 何とかなるやろ」次の「大和路快速JR加茂行」に乗りました。それが大阪駅8:12発と確かめもせず、9:31JR加茂駅につきました。9:36発「関西本線亀山行」に乗りました。JR伊賀上野駅に10:11着。次に乗るのは「伊賀鉄道伊賀神戸行」10:35発。電車の中で切符を売ってるおじさんに池田さんのお知らせを見せたら「この電車は伊賀鉄道あんたのカード(ICOKA)は伊賀鉄道では通用しない。まだ24分時間があるから改札で清算しておいで」って言われました。何が何だか分からないまま「上野市駅」に着きました。

「窮すれば通ず」何とかなるもんだなー。

第152回「お城へ行こう 第19回 小谷城」報告

<活動報告 捜索中です>

201863日(日)

行き先:小谷城

参加者11

第151回「お城へ行こう 第18回 水口城」報告

<活動報告 捜索中です>

201856日(日)

行き先:水口城

 

参加者13

第150回「お城へ行こう 第17回 彦根城」報告(14期 大西さん)

日時:2018年4月8日(日)曇り時々小雨

参加者:12名(池田(R)、立花、大谷、原、長澤、田上、石飛、飯島、井口、稲岡、稲岡貴、大西)

行程:JR大阪8:30(新快速近江塩津行)→京都発9:00→彦根着9:49

 

報告:彦根駅に降り立った12名。ガイドさんの案内で、わずかに残る桜を見ながら一路彦根城へ。

井伊直弼の「あふみの海 磯打つ波の いく度か 御世に心をくだきぬるかな」の歌碑、井伊直弼が暮らした「埋木舎(うもれぎのや)」(説明のみ)、彦根城博物館そしてその中の能舞台、登り石垣、天秤櫓、太鼓門及び続櫓等。本丸に入り天守の付櫓まで足を踏み入れたものの大勢の人で大混雑。天守に登るのは断念し名勝玄宮園そして食事。

ここへ来るには昨年末からの周到な準備があったと聞きました。

「ひこにゃんに年賀状を出すと彦根城入場料が二名様無料」の情報をもとに、川路さん、原さん、池田さんたちが年賀状を出されました。

その後ひこにゃんから年賀状が届き、そのはがき提示で、全員無料で入場できました。 

彦根城・彦根城博物館・名勝玄宮園のセット入場料 1200円が、おかげ様で「無料となりました。先輩方に感謝です(お世話してくださった川路さんは急用でご欠席)。

天守閣が綺麗で立派だったが、能舞台専用の建物に感動したり、豪華な能衣装に目を見張り、井伊大老が歩かれたであろう坂道を私も歩き、数十年前にみた大河ドラマ「花の生涯」の映像を思い浮かべたひとときであった。

お蔭様で長い間想い続けてきた彦根城天守閣を観られたのは、一と百の会のおかげです。それも今日は交通費だけで!楽しいお城巡りでした。有難うございました。