島根県立出雲高等学校「校歌の制定」(「出雲高等学校史」(1990発刊)より引用)

新制高校となり、新しい校歌の制定に着手したが、容易に決め難く行き詰まっていたところ、1950(昭和25)年5月ごろ、当地を訪れていた竹友乕雄(号  藻風)夫妻を本校に招き、校歌の作詞を依頼し、その快諾を得た。竹友藻風は東京高等師範学校から関西学院へ転じた人で上田敏門下のすぐれた詩人であっ た。たまたま当時の高尾晃武出雲第一中学校長の恩師であった関係から、同氏が竹友氏を本校に紹介したのである。作詞にあたっては、久徴園一帯を逍遙して風 物を見ては想を練ったという。 一方、作曲については、長谷川良夫東京芸術大学主任教授に竹友氏を通じて依頼した。斉唱曲のみでなく四部合唱曲も作られ、同氏の作曲中でも傑作のひとつに数えられる。なお新校歌の制定により、今市高女時代の校歌(奥村碧雲作詞・小豆澤利之助作曲)は本校の家庭クラブ部歌として愛唱されることとなり今日に至っている。

島根県立出雲高等学校校歌

(1951(昭和26)年11月制定)

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島根県立今市高等女学校校歌

(1923(大正12)年5月制定)

島根県立出雲高等学校家庭クラブ部歌