『岡山久徴会』の設立について 事務局長の飯塚 博是さん(15期)に語っていただきました。

《桃》からではなく  《大蔵省》から生まれた「岡山久徴会」

1977(昭和52)年 5月の事でした。
 銀行員から脱サラした私は、山陽新幹線が開通して活気溢れる岡山駅表口から、路面電車も走る《桃太郎大通り》を歩いて5分の左手のビルlFに《居酒屋大蔵省》を開店。その 3年後には《通産省》、そのまた 3年後には《農林省》を開業し、お蔭様で《大蔵省》を開店してから25周年を迎えました。
 それを感謝して今年(2002年) 5月19日には、その間ご愛顧頂きました皆様 250名を市内のホテルにご招待、千葉からお招きした恩師の津軽三味線や、地元の和太鼓を楽しんで頂きました。
 ここまでご覧になった方は、「何でここに居酒屋の宣伝が?」と怪しまれる事でしょうが「岡山久徴会」は私の《大蔵省》から誕生したのです。
 1987(昭和62)年、15期の同期会に出雲へ行ったことがありました。
 父を早く亡くし母子家庭で育った私は、高校時代好きな野球のクラブ活動に熱中する余裕もなく、故郷にも母校にも暗い思い出しかありませんでしたが、卒業以来20年以上経っているというのに、一瞬にして高校時代に戻った友人達との再会に感動してしまいました。
 岡山に帰ってからも私の中で「母校」・「同窓生」・「友情」は熱く大きくなって行きました。
 当時、岡山には同期生が 4人居ましたので、私の店に集まって、
  「岡山でも同期会をしよう」
  「いや、同じ作るなら岡山県の同窓生に呼びかけよう」
と、話が進み、母校から名簿を取り寄せ、《居酒屋大蔵省》を事務局にして岡山県在住の約160名に案内状を出し、呼びかけました。その 4か月後の1988(昭和63)年 4月17日《まきび会館》で、
 来賓として、
  出雲久徴会から  3期 高橋  稔 久徴会会長
              5期 園山 治男 副会長
  出雲高校から   教頭 故 上野 三男 先生
              10期 槙原  茂 先生
 をお迎えし、
  「岡山久徴会」 会長   10期 高野  保(当時は清水建設岡山支店勤務、現在は松江市在住)
           事務局長 15期 飯塚 博是
           参加会員 約50名が集まり、「岡山久徴会」が誕生しました。
 熱気溢れる発会式では2,000円ぐらいから中には1万円、それぞれポケットマネーのご寄付を頂いたので、これは現在でも通信費などに充てていて、年会費などは集めていません。また「岡山久徴会」が、よその会と違うところは、親睦をモットーにしていますので毎年の総会などはやりません。日帰りの市内観光、瀬戸大橋が開通すれぱ遊覧船でのんびり…。「出雲久徴会総会」、「関西久徴会」、「広島久徴会」に幹事が参加して交流する…といった状況です。そうそう、「関西久徴会」で出会った先輩に「出雲に帰郷される途中、お寄り下さい。岡山観光のご案内いたします」と云ったら、ほんとに母娘でいらっしゃったので、リニューアルした岡山城や閑谷学校へご案内したこともありました。おまけとしてこんな交流もありましたね。
 1989(平成元)年には出雲久徴会の園山副会長も見えて20~30名で市内の湯迫(ゆば)温泉に出掛けたこともありましたが、その後、高野会長が転勤され、現在は、13期の 山田 朝光 さんが会長です。前会長の他にも転勤して行った人が少なくなく、このところ活動は休止状態で、活力ある若い会員の参加を期待して居る所です。
 振り返って見ると、私は、この仕事と「岡山久徴会」の活動を通して世代を越えた沢山の人に会い、語り合い、歌い、杯を酌み交わし、感動し、沢山のことを教えられて来ました。そして、楽しかった!
 「岡山久徴会」誕生の頃の思い出をお話すると共に、岡山県に住んで居ながら、こんなに楽しい「岡山久徴会」にまだ参加して居ない皆さんと、これから岡山に転勤して来られる同窓生の皆さん、是非、一度駅前の《大蔵省》へおいで下さい。
 夢を見、憧れ、傷つき、力を尽くし、学んだ青春の 3年間を過ごした学び舎や友人達に思いを馳せ、ご一緒に「緑色濃き 鷹の沢・・・」を歌いましょう!

  「岡山久徴会」事務局長 飯塚 博是(15期)
    事務局《大蔵省》 電話 086-222-6688
     〒703-8267 岡山市山崎167-13 電話 086-276-1010