第89回 「一と百の会」活動報告( 7期 川路さん)

8月13日(土) 晴

 

ツバメの塒入りと奈良燈花絵を見に行ってきました。

 
大和西大寺駅に山村、池田、石飛寿、大西、立花(2人)原、弘田(2人)、川路の10人が集まりました。

平城宮跡の葦の群生地、ツバメは時計を持っているのでしょうか?
いつもの場所にいつもの時間に今年もやってきました。

乱舞に感動しながら、

「私らのデジカメでは点にしか映らないもんねー」
と大声でしゃべっていたら、近くにいた人が一眼レフの望遠レンズのカメラで撮った写真を見せて下さいました。

はっきりツバメと分かりました。

私のメールアドレスを教えてメールで送って頂く様にお願いしました。
昨日送ってきました。野鳥の会の人だとか、何でも口に出して言うもんですね!
何方かが応じて下さるんですねー(^u^)

大極殿西側の池の横の木立に13年振りにフクロウが北の地より飛来して来ているらしいですよ!
その写真も送って下さいましたが、一緒に送ることが出来ませんでした。
ごめんなさい(+o+)

ツバメが終わって奈良の燈花絵も観にいきました。

第88回 「一と百の会」活動報告( 7期 川路さん)

2011年7月23日(土) 晴

 

仁徳天皇陵に行ってきました。

 

南海高野線堺東駅に山村(L)石飛、大西、尾崎、清原、原、宮崎の各氏と川路、堺市役所前で荒木さんが加わり全部で9人集まりました。
まずエレベーターで21階展望台へ。仁徳天皇陵・履中天皇陵・反正天皇陵がくっきり目の前に見えるだけでなく
大阪市内も堺沖の臨海工業地帯もしっかり見えました。
ボランティアのガイドさんもおられて説明付きでした。

下へ降りて反正天皇陵へ、そこでは工事現場のガードマンさんが、頼みもしないのに、5分かな? 10分かな? くらいガイドして下さいました。
仕事ほったらかして? うーん良いんかなー(●^o^●)

仁徳天皇陵まで(約2K)暑い暑いって言いながら歩いて、陵墓(1周が約3km)も半周して拝所へ、中には入れないのでここまで、写真だけ撮ってガイドさんの話を聞いて隣のレストランで昼食。

午後は大仙公園の中の堺市博物館へ。

「65歳以上は無料でーす」って言われて全員無料でした(*^_^*)

ここでもガイドさんがおられてしっかりガイドして貰いました。
ここのガイドさんが私達には一番役に立った・・・気がするなー

外へ出てお抹茶をいただいて解散をしました。

第87回 「一と百の会」活動報告( 7期 川路さん)

2011年6月11日(土) 雨のち曇

 
府立弥生文化博物館&与謝野晶子文芸館に行ってきました。

昨夜からの雨、朝になってもまだ降り続いていました。
87「また雨やん('_')最近の一と百 雨と仲好しやなー」ってブツブツ独り言を言いながら9:45京橋発の関空快速に乗り込みました。

京橋から石飛さん川路大阪から岩崎さん原さん天王寺から山村さん、尾崎さん、池田さん、終点信太山駅では荒木さんが車で待っていて下さって雨の中歩く覚悟でいた私達を博物館まで連れて行って下さいました。
いつものことながら“やさしいねー“
博物館前で大原さん荒木夫人も加わって合計10人になりました。

博物館では特別展「河内のムラの物語」をやっていて丁度 学芸員さんの解説が始まっていました。

河内のど真ん中で暮らしている私には興味深いものがありました。
池島・福万寺遺跡の発掘調査を始めてから今年で30年とか、いつも「何をしたはるんやろ」と横目で見ながら通り過ぎていましたから、「へーそうやったんか?」って今頃分かりました。

弥生時代の人々の暮らしを弥生人になって博物館の中と外の両方でしっかり見学しました。
博物館すぐ横のおいしい「喜多方らーめん」を食べて、堺の与謝野晶子展ミュシャ展を見学して解散しました。

ちょっとだけ「ぼやけた脳」が活気づいたかなー(●^o^●)
楽しい一日でした。
山村さん、大原さん、荒木さん有難うございました。 

第86回 「一と百の会」活動報告( 7期 川路さん)

2011年5月1日(日) 雨のち曇り

 

狭山池博物館に行ってきました。
 
雨の大阪狭山市駅に山村、池田、清原、原、川路の5人が集まりました。
「また 雨やー」って口ぐちにいいながら狭山池博物館へ傘をさしてむかいました。
日本最古の「ダム式のため池」である狭山池、昨日から狭山市主催の「狭山池まつり」が行われていて池の周りは雨にも関わらずすっごい人人でした。

そこでは舞台も何か所かあるし、フリーマーケットは数えられない位沢山出ていました。
我々はまず博物館へ、ところが「今日は無料」でした。ラッキー!!

安藤忠雄氏の設計によるコンクリート打ちっぱなしの斬新な建物いきなり”滝のカーテン”が私達を迎えてくれました。
入口は3階なのでエレベーターで1階へ、中は迷路みたいになっていて子供たち走りまわっていました。

7世紀初めごろに誕生して奈良時代には行基さんが、鎌倉時代には重源さんが改修したとか、勿論江戸時代明治時代にも改修を繰り返し南大阪の「治水」と「かんがい」に大いに役立ってきた池だそうです。

館内でお勉強した後、午後の予定である弥生博物館行きは止めにしてお祭りに参加することにしました。
うまい具合に雨も上がっていたし・・・で(●^o^●)

フリーマーケットをひやかし半分に覗きながら池を1時間かかって一周しました。
途中「和太鼓」の軍団が演奏していたので、もしかして「弘田さん」がいるかもって立ち止りましたが、やっぱり見つかりませんでした。
「狭山市」だもんね「松原市」ではないもんね! 失礼しました。

爽やかな空気をいっぱいに吸って楽しく歩きました。(●^o^●)

第85回 「一と百の会」活動報告( 7期 川路さん)

2011年4月9日(土)

 

長岡京の竹林でタケノコ掘りをしてきました。

 

朝になっても降っていた雨がやっと上がった長岡京駅に(敬称略)稲垣、陰山(39期)家族4人、北村、郷原、谷口、と尾崎、原、川路の11人が集まりました。

今年はタケノコの芽が出る8月、9月とタケノコが育つ2月、3月に雨が少なかったのと3月に入ってもいつまでも気温が上がらなかったのが影響したのかタケノコの出が悪い。出てこない。

この長岡京は「乙訓タケノコ」といって全国有数の(全国一かも?)のタケノコの産地でシーズンになると、駅のまわりは50mおきくらいにタケノコの販売所が出来てタケノコが並んでいるのに、今年はタケノコが並んでいない

今年はプロのタケノコ農家も近年にない不作のようです。
竹をまびいて、草をひいて、藁をひいて、肥料をまいて、土をのせて・・・と、一年間手入れをして「想定外の不作」。ショックですねー(+o+)

それでもマアマア雨のお蔭でいつもよりは沢山でました。
皆さんに楽しく掘っていただきました。
陰山さんのお子さんたち楽しんで貰えたかなー?
本来ならバーベキューをする予定だったんだけど・・・ごめんね!

帰りに桜が満開の長岡天神の境内で「やきそばにビール」でミニミニ宴会をして解散しました。

第84回 「一と百の会」活動報告(11期 三原さん)

2011年3月13日(日)


「藤岡大拙さんのフォーラム」に行ってきました。

奈良県橿原文化会館にて、4時間にわたり、「古事記完成1300年記念プレ.イヤーフォーラム」が開催されましたが、出雲から、大先輩の藤岡大拙先生(2期)がパネラーの一人として出席されました。

・来場者:約800名

・内容:記紀万葉、出雲神話などなど

・ステージ:石見神楽「大蛇(おろち)」(浜田市からお越しになった「大尾谷社中」のみなさんの熱演で圧巻でした)

・久徴会関係参加者:園山京子先生(旧姓中尾、2期)ほか17,8名

本フォーラムですが、11日に発生した、東日本大震災で犠牲になられた方々への一分間の黙祷からスタートしました。パネラーの方々も、こんなときに、という思いが強かったと推察します。

3期の山村順子先輩撮影分含め、当日の写真添付しておきます。

もっと分かりやすく報告したいのですが、ご勘弁ください。

第83回 「一と百の会」活動報告( 7期 川路さん)

2011年3月5日(土)

 

猪名川町「多田銀・銅山」に行ってきました 。

 

快晴の川西能勢口駅に今岡(L)尾崎、谷澤、原、三原、山村、谷澤さんのダンス仲間の人、川路の8人が集まりました。
ここからバスに乗り白金2丁目で降りて「悠久の館」へ。

最近建ったらしく、きれいな建物でした(トイレもめっちゃきれい!)。
川を挟んで向い側には代官所跡が発見されて(平成12年)きれいに整備されていました。
 
ここからはボランティアガイドの平尾さんが案内をして下さいました。
豊臣秀吉の資金源としての役割を果たしたと言われる「多田銀・銅山」、古くは東大寺の大仏鋳造にもここの銅が献上されたとか。

建物の中でいろいろ説明を聴いて外に出ました。
まず金山彦神社にお参りをして青木間歩へ、ここでは中へ入って(結構長く100mくらい)、まだ残っている鉱脈を見たり、さわったりしました。 

秀吉の瓢箪間歩・台所間歩(大坂城の台所(財政)を潤す程の産出量があった)他に小さい間歩はいっぱいありました。でもすべて危険なので入れない。

さざえの殻に油を入れて火を灯して、その灯りで採掘(勿論手掘り)したとか。
昔の人はすごいねー!!

また「悠久の館」に戻って昼食(またまたビール・ワイン・デザート付)、現代人はこれだもんねー(*^_^*) 昔の人ごめんなさい(+o+)

午後は多田神社へ向かいました。
清和源氏の霊廟として源満仲、頼光、頼信、頼義、義家が祀られて武運長久家運隆盛・厄除開運の守護神として崇敬されている大社とか、威厳のある神社でした。
ハイ!  私もしっかりお参りしました。

今岡さん(7期)ご案内有難うございました。
谷澤さん、三原さん差し入れ有難うございました。

第82回 「一と百の会」活動報告( 7期 川路さん)

2011年2月27日(日)晴

 

大阪市歴史博物館見学と大阪城公園の観梅とをしてきました。

 

AM9:30大阪歴史博物館前に山村、石飛寿、尾崎、大西、北岡、清原、田上、原、三原、川路の10人と12期8人の計18人が集まりました。
 
「発掘された日本列島2010」「なにわの考古学30年の軌跡」と云うテーマで、旧石器時代→縄文時代→弥生時代→古墳時代→古代→中世→近代と、時代別に色分けされた説明文が付いていて分かりやすかったです。
その上我々には大先輩(山村)さんの解説も付いていました。
今までとんと無関心だった考古学、70歳の手習いで入って行こうかなー、何処まで行けるかなー? 無理かなー? まッ入口まででも良いか!

12期の人達は昼食会に行くとかで早めに退館、我々は2時間ほど時間をかけてゆっくり見学しました。
今日は雨の予報だったのに真っ青な空が広がって、2月と云うのに暖かく大阪城公園をグルッとまわり乍ら気持ちよく梅園へ向かいました。
梅園の南東隅でお弁当を広げました。三原さん(13期)の差し入れ(ワイン・のやき・さくらもち)もあっておいしい昼食会でした。

梅は5分咲き位でしたが、すっごい人でした。ここは人気があるんですね。
そろそろ観梅も終わりの頃に向こうを見上げたら、目の前にIMPビルが・・・
「そうだ12期の人達に合図をしよう」
山口さんに電話を入れといて赤い旗(一と百の会の旗)を振りました。
すると向こうからも赤い旗(12期の旗)で返事がきました。

「赤い旗で結ばれた」弾みこんだ我々は12期の昼食会場に押し掛けて、ビールをご馳走になりました。 おいしかったァ!!  ルンルン♪♪ 

中村さま、山口さま、12期の人達ご迷惑をお掛けしました。ごめんなさい(*^_^*)
出雲の控えめな女の子が年月が経つと大阪のおばさんになっていますねー

第81回 「一と百の会」活動報告( 7期 川路さん)

2011年2月11日(祝)  雪


朝起きて外を見てビックリしました。一面真っ白「ワーすごい!」。
大阪・奈良に何年ぶりかの雪が降りました。(大阪5㎝・奈良11㎝とか)。
「雪の明日香を歩くなんて、もう二度とないかもしれない?」と、心ワクワク出かけました 。
飛鳥駅に山村(L)池田、尾崎、清原、三原、川路の6人が集まりました。

今日のテーマは~明日香風の道古の心を今にたずねて~です。
この雪でも皆さん次々駅から出てきて集合場所の明日香小学校まで歩く人、バスに乗る人・・・でいっぱいでした。 12,000人集まったとか。
もの好きは私だけではなかったんだ!

降りしきる雪で田んぼも畑も公園も見分けがつかない程、白いキャンバスに。
木の緑と木に咲いた白い花だけ・・・これも絶景・・・でした。
竹は雪を被って90度腰をかがめていて、長岡京の竹林どうなってんのかなー?
ってやっぱり思ってしまいました。(竹林思いなんだねー(^-^))

傘に雪が積もって重くなるので、時折振り払いながら集合場所で貰ったパンフや携帯ラジオ(青山先生、猪熊先生、上野先生たちの解説を聴く為)をぶらさげて、坂道をすべらない様に気をつけて上り下りするのも大変でした。

 

高松塚古墳(壁画館も)→国立飛鳥歴史公園→天武・持統天皇陵→水落遺跡
飛鳥寺→飛鳥板蓋宮跡→石舞台古墳と10km楽しく歩きました。

 

飛鳥歴史公園の建物のすき間の軒先を見つけて半すわりで昼食・・・でも寒くなかった? 「雪だるま」も作って♪♪  楽しんじゃいました。 

第80回 「一と百の会」活動報告(11期 三原さん)

2011年1月3日(月・祝)

 

明けましておめでとうございます。

山陰地方は記録的な豪雪で大変な事態だったようですが、奈良の都は申し訳ないほど穏やかな正月でした。

 

3日午後、平城京跡で例年通り連凧揚げをしましたが、ぽかぽか陽気で、ほとんど無風に近く、凧揚げには不向きでした。こんなことは初めてです。

おかげで揚げるのに一苦労でしたが、なんとか3セットほど揚げることができました。

大極殿横の連凧ですが、本年古希を迎えられる12期の方々の作品で見事に揚がりました。

もう一点、凧紐を持って疾走している女性ですが、19期弘田礼子さんです(元気はつらつ。何歳?)。

40名以上集合いただいたような気がします。

終了後、13名が西大寺駅前の飲み屋で打ち上げ。